確かに動いた心をなかったことにしてしまうのは、自分の心に失礼だから。

関ジャム「奄美の音楽」回の感想

関ジャムの「奄美の音楽」回を見た。

 

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エイターだし、関ジャニ∞さんのセッションする姿とか軽妙にトークする姿とかそういうのも大好きだけど、そういうのもよかったけど、それ以上にこの回は特に、内容が示唆に富んでいるというか、ただ音楽っていいよねって言うだけの内容じゃなくて、刺激をたくさん受けた。大学で、伝統についていろいろ研究していたのだけど、論文を書き直したいくらい。和楽器を幼少の時から続けていて、ずっと感じてきたコンプレックスもなんなら解消されたくらい。それくらい番組に感銘を受けた。

 

理由はいろいろあるけれど、何よりも第一に、奄美大島の音楽のアカデミックな背景を知れたこと。

ゲストには、島ご出身のシンガー、元ちとせさんと城南海さん。奄美大島では、集落ごとにそれぞれの曲が存在すること、その曲は宴の席でみんなで楽しみながら歌うということ、薩摩藩の侵略の歴史の中で曲が哀愁を帯びていったこと、グィンという独特のこぶしのようなものが奄美の歌を奄美の歌たらしめていること、沖縄の音楽とは楽器も音楽理論上でも異なることなど、かなり体系的に語っておられた。大前提として、このお話がとっても貴重だと思う。私はいわゆる新興住宅地みたいなところで生まれ育ったので、お祭りとかお囃子とかはあったけど、奄美大島のように日常的に生活に根付いた郷土芸能にゆかりがない。でも、おそらく、お二人の生活の中にはずっと郷土の音楽があったはずだからこそ、その存在に違和感を感じることはなかったんじゃないかと思う。いくら島ご出身のシンガーさんだからといって、ここまで深く語られるのは、とても自覚的に、郷土芸能を大切に思って学ばれてきたからだろうと、なんとなく感じた。

 

さらに、その解説を、クラシック声楽家の彌勒忠史さんが、世界中でスタンダードになっているクラシックの技法、音楽理論においてどのような意味を持っているのかまで語ってくださったのも興味深かった。奄美大島の方に明らかに共通認識が存在するのに記譜することができないグィンという歌唱法や、拍がカウントできない長老の節回しなどを、奄美大島にあってこそ生まれた大切な財産であるという立ち位置でコメントなさっていたのが印象的だった。

日本の芸能の中で育まれてきた音楽は、楽譜に当てはめられないことが多いと感じている。節回しは互いの呼吸を合わせ間合いを重視するとか、楽器のピッチがドレミ通りに設定されていなかったりとか、そもそも伝承の仕方が口伝だったりとか、曖昧なところに美学があったりもする。その曖昧さは時に、楽譜を徹底的に再現することに価値を置くクラシック音楽を演奏される方には摩訶不思議だったり、不快だったりするのかもしれないと、実体験として思っている。それでも、クラシックの権威ある立場にある彌勒さんが、日本にある伝統芸能の技術に敬意を持ってらっしゃると分かったことは、なんだか自国の文化を誇っていんだなって思える救いにも感じた。

加えて、そんな特別な芸能であると学んだ上で、クラシック界から彌勒さん、関ジャニから安田さんが即興でシマ歌に参加するというシーンも目の当たりにして、磨かれた芸のぶつかり合いというのは、難しいことを何もかも飛び越えてコミュニケーションし出すし相乗効果を生み出してしまうという、もっと普遍的な何かをも見せつけられたような気もした。

 

 

日本の芸能は、曖昧さに美学がある。だからこそ、伝承していくのには難しさがある。長いことそう考えてきた。

最低限の型はあるにしても、演奏や再演にあたり、人と人が口で伝えていくわけだから何もかも全く同じとはいかず、またそうすることが必ずしも粋とはされない。時代に合わせ、やる人、見る人の面白い方へ少しずつチューニングされていく中で、評価されることもあれば、「こんなの伝統じゃない、下品だ」と言われることもある。変化していく余白が残されている面白さでもあり何よりそれこそが難しさ。長いことそう思ってきた。

でも、奄美大島ではシマ歌の歌詞を、最近集落で起きた出来事や、今の気持ちを替え歌して楽しんでいるということを番組で知って、それって歌う側も聞く側もめちゃくちゃ楽しいし楽しいほうがいいし変わっていくことって生きてる証じゃん、と急に吹っきれたように思い始めた。

趣味で和楽器を続けていると、時折「伝統を守ってくれてありがとう」と声をかけていただくことがある。私はただ趣味で楽しくて演奏していて、何かを守っていく正義感がどうしても足りていないので、いつもとっても後ろめたかった。でも、自分が良いと思う演奏をして、見てくださる方に良いと思ってもらえれば、結局は良いのだよなと思えた時に、急に呪縛から解かれたような思いがした。

 

畳み掛けるように、番組の締めとなるセッションコーナー。「ワダツミの木」を、元さん、城さん、安田さんのボーカル、演奏は欠席の大倉さんを除く関ジャニ∞全員で。この演奏が震えるほどよかった。曲の持つとびっきり悲哀な雰囲気が、奄美独特の発声によってギュッと切実になる。それに食らいつく安田さんのボーカル力。演奏全体のかなめになっている丸ちゃんのベース、そつなくも切なさを増させる村上さんのシンセサイザーの音色、しっかりとキマった横山さんのトランペット。何をとってもよかったし、奄美大島の歌声が、東京でジャニーズと混じり合っている事実自体にも、なんだか希望に感じられた。

先人に感謝の気持ちを忘れずにしながらも、もっともっと今まで以上に、自分が感じて表現したいことを、楽しんで表現しなくちゃという気持ちに突き動かされる。コロナでしばらく練習が飛んでしまってるけど、再開が楽しみだなと、セッションが終わる頃には自分でも驚くくらい本当に純粋な心持ちでテレビの前で涙を流していた。

 

こんなふうに刺激を与えてくれるテレビ番組ってとっても貴重だなと思う。いつもだけど、ありがとう関ジャム。結局その一言が言いたくて書きはじめたブログだった。次の放送も楽しみにしてます。